私は小さい頃、やんちゃ坊主だったようで、父親から叱られ、自宅の裏庭にあった柳の木に縛られていたようです(笑)。しかも一度ではなく、数回あったようです。
でも、その当時の記憶が全くありません。父親は宮大工職人でしたが、私が13歳(中学2年)の時に屋根から落ちてしまい、顔を強打して数日後にこの世を去りました。
父親の人生の目的は「カルマの清算」だったようです。
子供は、小さい頃に限って言うと本人の学びというよりは、親の学びに協力しているところがあります。でも、カルマ清算の人生の場合は、魂が成長できない宿命となっていたため気づきや学びが得られないように神様にコントロールされています。
つまり、この出来事は父親の学びのために起こったわけではないということです。そして、私自身は全く記憶にないので私の学びのためでもありません。
では、この出来事の意味は何か?ですがこれは、母親に対する学びのための出来事だったようです。父親に対して・・・
「暴力を伴う躾けは、正しいやり方ではない」
と言えるかどうか?がポイントだったようです。では、父親あるいは母親から暴力を受け、そのことがトラウマとなっている人にとってはどのような意味があるのでしょうか?
トラウマになるような出来事は、その本人の魂の課題が大きく影響しています。そして、記憶が鮮明に残っているということは、その辛さを体感する必要があったということになります。
では、なぜそのような経験が必要なのか?ですが、これは「因果応報」の「果報」である可能性が高いということです。つまり、前世時代に自分が子供に対して、あるいは他人に対して暴力をふるっていた可能性が高く、その辛さを今度は自分が体感する必要があったということです。
そして、その裏側には、大きな課題が隠れていると思われます。その課題に気づき、改める必要があるという神様からのメッセージになりますね。
同じように親から暴力を受けていたとしてもその意味はケースバイケースで、人それぞれとなります。すべての出来事に意味があるのでその意味を紐解いていくと魂成長のヒントが得られると思います。
一つ確実に言えることはどんな出来事も「自分に原因がある」ということになります。これは、神様が創った真理・法則となるため例外は一つもありません。
●どんな意味があったのか?
●自分には、どんな課題があるのか?
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